企業組織論設問集GSJ23
回答及び回答根拠
2023.11.02.
お疲れさまでした。日頃意識しないようなことを意識し、考えないようなことを考えた時間は、新鮮なひと時ではありませんでしたか?
人間は慣習の動物です。つまり「慣れ」るのが得意なのです。どんなに高度なことであっても、一度できてしまえば、あとは繰り返せば繰り返すほど慣れていきます。
「慣れ」とはエネルギーの省力化のことを言います。慣れるに任せるばかりでは、どんどんとエネルギーが省力化され、その延長線上で思考エネルギーも行動エネルギーも矮小化していき、つまるところマンネリ化します。
ですから「慣れに任せておく」だけではいけません。
考えの切り口を変えてみる。思考パターンを変えてみる。更に効率化、高品質化、高満足度のアウトプットを模索してトライ&エラーを繰り返してみる。そうした飽くなき戦いの連続線上に仕事の充実、成功、人生の充足、幸せがあるのです。
しかし、ベースとなる仕事の基本的な価値観については、そうコロコロと変わってしまっては困ります。基本的な価値観がコロコロと変わるようでは、それは縦横無尽の応用ではなく支離滅裂となります。無茶苦茶です。
そうしたことにならないように、皆さまには仕事に関する基本的な価値観について、ほんの一部分ではありますが、とても重要な部分を学んで頂いたわけです。
さて、その学びの準備運動として、研修前に「企業組織論設問集GSJ」に取り組んで頂いたわけですが、本日は時間の都合で設問に対する正答解説が十分に実施できませんでした。
但し、解説のベースとなる基礎の部分については確とご理解頂けたと考えております。
その基礎の部分を踏まえながら、研修後の補完学習として下記の当該設問集の解説を読み、研修前のご自身の価値観に歪みや偏りがなかったかどうか、また、価値観が甘い或いは浅くなかったかどうかを確かめておいてください。貴重な振り返り学習となることでしょう。
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企業組織論設問集 GSJ回答根拠[概要]
─ 初回受講者用 ─
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設問№1.企業組織において、社員に課せられる責任と役割の大部分は~
設問文書は、社員に課せられる責任と役割として「目標達成管理」ばかりを取り上げている。他の3の役割と責任に触れていないにも関わらず「責任と役割の大部分」としているので・・・[✕]
設問№2.企業における管理者の存在意義は、目標業績達成に向けて~
管理者の役割と責任も「目標達成管理」「問題解決」「職場活性」「自己成長及び部下,配下の指導育成」の4つ。なにをもって「とりまとめる」とするのかは別として、その存在意義が「目標達成管理」「自己成長及び部下,配下の指導育成」に集約されるとする設問文章は、それ以外の他の2つの役割と責任を放棄したことになるので・・・[✕]
尚且つ「面倒をみる」とは、やっかいなことを引き受ける或いは世話を焼くというニュアンスが強く、必ずしも指導育成とイコールではないので、このことを踏まえれば余計に・・・[✕]
設問№3.職場において問題が発生した場合は、管理者自らが率先して~
部下にも「問題解決」という役割と責任がある。そして基本的には、職場内の問題は職場メンバーが解決すべき領域にある。管理者は職場と職場外の世界との接点領域で問題解決をすべきである。
管理者が職場内の問題解決に首を突っ込んでばかりいると、この領域(職場と職場外の世界との接点領域)での問題解決がはかどらず、その職場はより大きな組織の中で次第に弱い立場となっていく。
但し、職場内の問題解決であっても、職場メンバーにその問題を解決する実力がない場合或いは問題に直面してひっ迫している場合は、応用編として管理者が入り込んで率先垂範型のリーダーシップを以て問題解決をしていかなくてはならない。
設問文では「応用編である」旨が述べられずに職場内の問題を管理者が解決すべきとし、尚且つ役割放棄とまで明言しているので・・・[✕]
設問№4.社員の指導育成は、一義的には人事教育部門や会社の~
社員に課せられた4つの役割と責任及び機能構図に、明確な役割・責任として「自己成長及び部下,配下の指導育成」が挙げられている。つまり、社員の指導育成の一義的な役割・責任は本人にあるということ。
そして()書きの補足の通り、二義的な役割と責任は上司にあるということ。
一義的な担い手である本人と、二義的な担い手である上司が、仕事を通じてこれを実践していこうとする共同作業が「On the Job Training=(O.J.T)」である。
言うまでもなくこれが企業教育の基本であり、即ち O.J.T.こそが企業教育の王道なのである。それを補完する位置づけにあるのが人事教育部門である。
よって、人事教育部門に社員の指導育成の一義的な役割があるとする設問文は・・・[✕]
設問№5.職場メンバーは、所属する職場を活性化する役割を担って~
役割と責任は表裏一体である。役割だけが存在して責任が問われないということはあり得ない。役割があれば、その役割を果たしたか否か、つまりその役割を担うことで要求または期待される成果を具現できたかどうかの観点で責任が問われる。
職場メンバー一人ひとりに「職場活性」という役割がある以上、当然のことながらその一人ひとりに「職場活性」の責任がある。
一般論として「責任をとらされる=処遇上の処罰を受ける」のは組織の長であることが多いが、だからといって配下各人に責任がないというのは暴論。処遇上は責任をとらされなくとも、成果が不十分であるならば職場メンバー一人ひとりが自ら責任をとらねばならない。
しかしそれは辞表を提出することではない。十二分な善後策を講じ、要求または期待される成果具現に向けて懸命なるリカバリに励むということである。よって...[✕]
設問№6.ビジネスにおいて問題があるということは、即ちそれはマイナス~
あるべき姿を基準と捉えた場合、現状がそれに満たない場合はあるべき姿と現状との間にギャップがあることになる。即ちそれは、あるべき姿に対してのマイナス要素である。
しかし、これは直面する問題或いは発見する問題を考えた場合に限る。創造する問題の2つ目のニュアンス「より良く成長する」「進化する」場合においては、あるべき姿と現状とのギャップは、あくまでも現状を是とした場合のプラス要素であり、このギャップを埋める、つまりプラス要素を具現することによって、現状であっても困っていないのに「もっと良くなる」こととなる。
問題の3類型を前提にした場合、ギャップとは一概にマイナスとは限らないのである。
設問が直面する問題或いは発見する問題に限っての限定的な文章であれば、これを否定する要素はないが、そうではないので・・・[✕]
設問№7.問題とは基準からの逸脱という面をもっている。この場合の~
確かにあるべき姿を基準と捉えた場合、直面する問題や発見する問題では、それに対する現状を「基準からの逸脱」と捉える。
さて、その基準だが、企業毎に全て文書化されているかと言えば決してそうではない。いくらISOなどの教育がしっかりなされていても、すべての業務のあらゆる基準を文書化することはできない。なぜなら、基準は時代の変遷と共にどんどんと変わっていくからである。
時代といった大げさな表現を用いなくても世間を騒がすような事件や事故がある度に、また、社内での事情の変化の度にそれに呼応する形で基準そのものもどんどん変化していく。
仮に、業務のあらゆる基準が文書化されているとしたら、決められた基準で判断し、決められた基準に則って対処していけばあらゆる業務が完遂できるということになり、それは変化常ない現実を無視している、つまり現実離れしているのである。
こういう感覚を持つ者は、現実や世の中の動きを無視してマニュアルに頼りきり、マニュアル内容を実践しただけで、あたかも仕事を完遂したような錯覚に陥る。
問題という概念による基準とは、もちろん企業毎に文書で規定化されたものもいうが、それを含めて世の中の時々刻々の変化によって呼応進化する「あるべき姿」なのである。よって企業の規程集に存在している規定は、その一部分に過ぎない。だから・・・[✕]
設問№8.問題解決において決め手となる能力は~
問題解決能力は総合力であり人間力そのものだ。特定の能力が決め手となるわけではない。ある局面で決め手となった能力が、事後、暫くの間、決め手として象徴的にイメージされることはあるが、しかし、結局のところ総合力によって問題解決は成る。よって...[✕]
設問№9.直面する問題を解決するためには、関係者を集めてじっくりと~
問題解決3つの肝...それは「あの手この手」「積極果敢」「スピード」。これらは問題の3類型に依らず基本。とりわけ、直面する問題は「待ったなし!放置するととんでもないことになる」わけだから、一分一秒、その初動からたたみかける様なスピード対応が求められる。じっくり原因追究、対策立案をしている暇はない。よって・・・[✕]
設問№10.問題の原因には、一般に自責の部分と他責の部分とが~
例え自分に直接的な原因がなくとも、敢えて積極的に探す。そして、わずかでも自責の原因が考えられるのであれば、それがどんなに弱い因果であっても、それを潰すべく自責で対策を立案する。
問題解決に当たる全ての人がこういう姿勢をもっていれば「あの人が〇〇してくれたら解決する」「会社が✕✕してくれたら改善する」といった他責の対策が減り、すべからく「私が〇〇する」というものになる。当然、その「私がする」ことは「私にできること」「私がやるべきこと」として最も相応しいものとなる。
他責で対策を立てるのは簡単だが、結局のところ、あてにしていた他者がこちらの望む行動をとってくれなければ問題は解決しない。「あの人が」ではなく「私が」という自責の対策が増えれば増える程、対策の実行性と実効性は高まり、従って問題の解決可能性も高まる。
但し、問題の原因追究においては、自責に偏り過ぎると逆に問題を正しく捉える=概念化することができなくなる怖れもある。原因追究においては自他責両面から等しい力でこれを行い、対策立案のみ自責で行うのがセオリーである。
設問文章は原因追究に限って「自他責両面を等しく・・・」としているので・・・[〇]
設問№11.職場で問題解決を進める場合、取り組む問題解決に不慣れな者は~
職場の問題解決のプロセスは、全員が議論に参画して「燃える」ことが大切。わからないからといって議論に参画しないと、結局、対策の役割分担を割り振られてもこれに熱中、没頭することができない。
これでは対策実行者が真面目な人間であったとしても、いわゆる「腰が引けた状態」「小手先の対処」となってしまう。なにせ「言われたことをやるだけ」なのだから。
従って、例えよくわからなかったとしても、わからないなりに主張、質問、確認し、熟練者にはない新鮮な視点で議論に参画することが肝要。
こうすることで、ともすると応用編に走りがちな熟練者も初心に戻りやすく、基本から逸脱して結果オーライを目指しがちな問題解決時の議論にブレーキがかかるなどの効果もある。
そして、わからないなりにも議論参画した分だけ、その問題解決が心的に「自分のもの」になっていく効果も絶大。自分のものになって行くからこそ、対策の実行に及んで現実に合わせて対応を応用させていくことができるようになる。
よって「不慣れな者は大人しくしていろ」とする設問文章は・・・[✕]
設問№12.問題解決実務で重要なことは、原因追究や対策立案の討議で~
「現場は生きている」。だから時々刻々と変化をしている。それは問題解決の現場でも然り。
だから、議論で練られた対策を忠実に実行しても、対策実施の尻から状況が変わってしまい、それだけでは不十分となってくるケースが間々ある。
然るに状況対応、応用というものが求められるのは至極当然のことである。よって・・・[✕]
但し、好き勝手と勝手は違う。施策実行者が自分の都合で独断で施策変更をするのであれば、それは実践者が「好き勝手」しているということ。これは論外。
一方 "勝手" には「具合がよい」という意味がある。問題解決の議論を踏まえて、その議論から導き出された施策だけでは間に合わないような場合、現場の変化に応じて具合の好い応用をすることは当然のことである。
但しその状況対応、応用が適切なものとなるには、前提として問題解決の議論に充分に参画していることと、対処する問題解決での経験知を積んでいることが必要である。
設問№13.問題解決型人財(人材のワンランク上位レベル)になるためには~
設問文書は、社員に課せられる責任と役割として「目標達成管理」ばかりを取り上げている。他の3の役割と責任に触れていないにも関わらず「責任と役割の大部分」としているので・・・[✕]
設問№14.人生においては、自分の立ち位置にあった相場的な~
相場としての「あるべき姿」とは、つまり相場としての理想像。それが必ずしも自分自身の「あるべき姿」として、実現によって満足や幸福がもたらされるとは限らない。従ってこの一文を根拠として設問は[✕]である。
真の自己実現とは「経済的なベースを確保していること」を前提とした、「真に自分自身がなりたい、したい、実現したいことを実現すること」である。もちろんそれらの理想の設定においては「人に迷惑をかけない」「法律を犯さない」という前提も重要である。だから真の意味での自己実現には道徳的な感性も不可欠となる。
もちろん自己実現とは、細かな前提を抜きにすれば「真に自分自身がなりたい、したい、実現したいこと」を「あるべき姿」とし、それに対する「現状」とのギャップを埋めることに相当するので、これは「人生における問題解決である」ということができる。従ってその意味では設問の文章は正しい。
しかし"相場的"という部分が決定的に間違い。
設問№15.発見(潜在)する問題解決と直面する問題解決は~
発見(潜在)する問題とは、即ち直面する問題の芽である。
あるべき姿と現状とのわずかなギャップ(わずかだからこそ「発見」しなくてはならない)は、今現在とりたてて困っているようなものではないが、これを放置しておくと、そのギャップは徐々に広がり、やがて限界を超えた瞬間にタガが外れたように一瞬のうちに許容範囲を超えて大きく拡大する。つまり直面する問題となる。
直面する問題の大半はこのようにして発生している。
従って、直面する前の "芽" の段階でこれを発見、改善、解決することができれば、つまり問題の芽を摘み取っておくことができれば直面する問題は減るのである。即ち発見する問題が増えれば(発見、改善、解決することが多くなれば)直面する問題の数は反比例して少なくなっていくということ。よって・・・[〇]
以上